茶譜。台湾茶・中国茶の販売一覧。

正山小種紅茶 ロイヤルセレクション

10g ¥2,000

正山小種の英名は「Lapsang Souchong」 (ラプサンスーチョン)。その名前の由来は輸出港である福州で「Lu Xun」と発音されていて、それが訛って「Lap Sang」と呼ばれるようになったようです。独特なスモーキーな香りのこのお茶は、当時と変わらない製法と高い品質で、ヨーロッパ各国の皇室で最も愛されている中国紅茶です。

17世紀のイギリスでは、中国茶は高貴な輸入品とされ、まず上流階級で流行し、イギリス社会に広まりました。それによってティーウェアも注目され、磁器の貿易も発展したそうです。1662年、ポルトガルのキャサリン王女がイギリスのチャールズ2世に嫁いだ年、彼女は中国紅茶と茶道具を嫁入り道具として持って行きました。お茶をこよなく愛する彼女は、結婚後もイギリスでお茶の振興に努めたそうです。これがイギリス王侯貴族の間で中国茶を流行させました。1664年、イギリスの東インド会社がイギリスの王に2ポンドの武夷紅茶を献上しました。その頃の値段は1ポンド40シリングでした。18世紀初頭、ジョージ一世の時代、イギリスでは中国茶が大流行し、お茶を飲むことがテーマとなる「茶話会」も各地で開かれました。そんな中で正山小種はイギリス社会の注目の的となりました。その後、ブレックファーストティーやアフタヌーンティーが流行し、それはイギリス全土に広まり、やがてフランスの王妃もその魅力を聞きつけ、グラスの中の赤い湯の秘密を探らせたそうです。イギリス人の舌と心を捉えた正山小種は世界の紅茶の母と呼ばれ、欧米の紅茶文化のルーツとされています。

正山小種の発生には諸説ありますが、春茶の収穫期に村を占拠した軍隊が、逃げて行った村人が残した茶葉の袋の上で夜を明かし、翌日軍隊が去った後、発酵してしまった茶葉を製茶家が松の焚き火で炒って乾燥させたところ、松の煙とエッセンスを吸収したそのお茶は、今までに無いような色と香りを放ちました。それを「小種紅茶」として売ったところ、意外にもイギリスで人気を博し、王侯貴族を熱狂させたと言われています。

正山小種はロシアにも伝えられ、愛好されたそうです。当地では厳しい冬の寒さの加熱、保温の出来る「茶炊」という道具が使われ、レモンスライスやラム酒、ブランデー、砂糖をいれたりして、心も体も温めていたそうです。

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